Sunday, May 15, 2016

俺の町 写真集 その2

こんにちは。また俺の町をお見せしたいと思います。

今週のテーマは「19世紀」です。


ミュー(Meux)やしきです。1889年建てられました。ミュー先生は内戦時代の連合国(南の流派)の陸軍の外科医でした。内戦後カリフォルニアに移り住んできてこの家を建てました。

この建築スタイルは、「クイーン・アン」と言います。昔はこのスタイルは市内によくありましたが、ほとんどは取り壊されています。家はリストアされて今はミュージアムをやっています。

詳しくは公式サイトへ:Meux Home Museum

全部英語ですので、もし読みづらければ声をかけてください。


この柱、馬をつなぐためです。ミューやしきの隣にあるのです。

この街が確立されたときは自動車時代の前なので、交通は「馬の力」でした。19世紀はたくさんあったのに、今町に残っているのは10本にすぎません。でも、いまでも使える様子です!


1894年建てられた給水塔。1963年まで給水していましたけど、現在は観光案内所です。そして、アートギャラリーとして利用されています。

町のシンボルでもあります。


この家はもともとモントゴメリー・トーマス先生のものです。トーマス先生は歯医者をやめて不動産業に転職した人でした。1897年建築。


このビルは歴史はある!もともとフレズノ最初の新聞デイリー・エクスポジターでした。

外見はいろいろと変わりましたが、このビルはいまだに建っているなか、フレズノの一番古い建物。1881年建てられました。2階は1888年加わりました。

もともとどう見えたか気になればこちらをクリック:こっちこっち!


古いといえばすべてはここから始まりました!1872年(市になる前)サザン・パシフィック鉄道はここに「フレズノ駅」をつくり、北のサンホアキン川に沿うミラートン市民は、冠水のおかげですぐに駅の近くに引っ越してきた、という話があります。1889年元のビルを取り壊してこのデポを建てたのです。

1996年サザン・パシフィック鉄道はユニオン・パシフィック鉄道に買収されました。ということで、ここはいまだにユニオンパシフィック鉄道の鉄道駅をやっています。

ところで、ミラートンはダムの建造で湖になっています。


鉄道といえばフレズノに2つあります!サンタフェ鉄道駅です。バーリントン・ノーザン鉄道と合併して「BNSF」となったとしても、みんなここを「サンタフェ鉄道」としか呼ばないのです。

歴史のおかげかな?

建物は1899年建造されました。

サンタフェでけではなく旅客列車のアムトラックの駅でもあるのです!俺が近くに住んでいるからとても便利!便利といえば向こうにセブンあります!

ちなみに、バスのグレイハウンドも、ここにあります。

俺の町、いかがでしたか?もっと知りたければいつでもコメントを!

来週は、20世紀の1900年代の歴史と建築を、楽しみにしてください!俺も楽しみにしてるから!

Sunday, May 8, 2016

俺の町 写真集

久しぶりに日本語を使う機会がので、少しだけでも日本語でブログしてみます。

フレズノはカッコよくないと思われるかもしれませんが、ここは俺の町、つまり、俺のための場所です。

そして俺の町の、日本からの遺産、つまり、100年過ぎ前の日本人の遺産を、今の日本人に語ろうとします。


本当は、フレズノの人たちはここら辺を「チャイナタウン」(中華街)と言う。そして本当は、最初は1874年中国人が約600人この街に来たとしても、その後日本から移住してきた人たちの影響の方が感じられます。

その影響を、写真で伝えたいと思います。


まずは、お寺から。俺は宗教的な人じゃないけれど、この建物を見るだけで日本に戻った気がします。ヤシの木があってもそれくらい無視しやすいんです。お寺の業務はほとんど市の北側に移っています。写真には見えないでしょうが、近寄ってちゃんと見てみたらものすごく荒れてるのがわかります。



日本ビル、その1と、その2。今は遺棄されている様子です。


コモトのデパート。1階にモスクが入っています。それ以外に日本ビルと同じ状態になっているらしいです。


コゲツドーのまんじゅう屋。100年前からいまだにもやっています!かき氷も売れてます。残念ながら日曜日は閉店です。ぶっちゃけいうと、一度も入ったことがないんです…


そしてセントラル・フィッシュ・カンパニー。魚屋でも、レストランでも、日本の食品を売るスーパーでもある!しかも2階にダイソーあり!日本の味が味わいたければここで食品を買って家で作るしかないので、時たま訪れてしまいます。